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大阪地方裁判所 昭和62年(ヨ)232号 決定 1987年11月06日

申請人

ラメーシュ・マツール

(Ramesh Mat-hur)

右訴訟代理人弁護士

戸谷茂樹

右同

露木脩二

被申請人

学校法人関西外国語学園

右代表者理事

谷本貞人

右訴訟代理人弁護士

俵正市

右同

草野功一

主文

一  申請人が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有することを仮に定める。

二  被申請人は申請人に対し、二八〇万円及び昭和六二年一一月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り四〇万円を仮に支払え。

三  申請人のその余の申請を却下する。

四  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  申請人

1  申請人が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人を被申請人国際文化研究所教授として仮に取扱い、昭和六二年四月以降毎月二五日限り六四万四六〇〇円を仮に支払え。

二  被申請人

1  申請人の本件申請を却下する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

第二当裁判所の判断

一  当事者間に争いのない事実及び本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

被申請人は学校を設置することを目的とする学校法人であり、肩書住所地において関西外国語大学及び関西外国語短期大学(以下両者を合わせて「大学」という。)を設置している。申請人は、昭和四七年一〇月、客員講師兼同大学に付設された国際文化研究所の研究助手として被申請人に雇傭され、その後昭和四八年に教授となつて、被申請人の国際文化研究所インド部門の主任教授として継続して勤務してきた。しかし、被申請人は、申請人との間の雇傭契約は昭和六二年三月三一日をもつて終了した旨主張し、以後申請人を被申請人に勤務する者として取扱わず今日に至つている。

二  被申請人が雇傭契約の終了事由として主張するところは、次のとおりである。

1  被申請人と申請人との間の雇傭契約の内容は、期間を毎年四月一日から翌年三月三一日までの一年に限つて申請人を客員教員として雇傭するというものであり、昭和六一年度までは雇傭契約を毎年更新してきたが、同年に更新した契約は昭和六二年三月三一日終了した。

2  申請人には左記のとおりの解雇事由があるので、被申請人は、昭和六二年二月二七日ころ、申請人に対し書面で、申請人を同年三月三一日限り解雇する旨の意思表示をなした。

(一) 被申請人は申請人に対し、昭和五一年六月一六日、アゲイエ著によるヒンディー語小説「河に浮かぶ島」の出版費として五五万二五〇円を支払つたが、申請人は今日に至るまで右書籍を出版せず、かつ正当な理由なく右出版費用の返還もしない。申請人の右行為は、被申請人の就業規則(以下「本件就業規則」という。)七五条九号及び一〇号にそれぞれ懲戒解雇事由として定められた「公金を費消または流用したとき」、「故意または過失により学園に損害を与えたとき」に該当する。

(二) 申請人は、昭和五〇年一月から五月までの間に、インド・カルカッタのグリーンエーカー書店より被申請人のため一八五冊の書籍を購入し、その代金として被申請人から三二万円余り(9162.25ルピー)を受取つた。しかし、申請人は未だにその購入代金を支払つていないものと思われ、昭和五七年一月には同書店から被申請人に対し右購入代金の支払に関する照会があるなど、今日に至るまで、右購入代金の未払問題は解決していない。また、申請人は、同書店に対し、昭和五〇年に被申請人がインドで出版した書籍四タイトル一六冊を五一六ルピーで売却し、これを右購入代金に充当した。

申請人の右行為は、本件就業規則四条及び七条にそれぞれ職員の服務義務として定められた「職員は、学園の名誉または信用を失墜させるような行為をしてはならない」、「職員は、学園の金銭、物品を他に融通し、または私用に供してはならない」との各規定に違反し、本件就業規則七四条九号に懲戒事由として定められた「就業規則または学園の諸規則に違反したとき」、及び前記の本件就業規則七五条一〇号の「故意または過失により、学園に損害を与え、または学園の信用を傷つけたとき」に該当する。

(三) 申請人は、昭和四七年から昭和五九年までの間、被申請人よりインド関係図書の購入費として一五〇〇万円以上の支払を受けて、これにより被申請人のためインドの書店から一万二〇〇〇冊以上の書籍を購入した。申請人はその際購入先書店から一〇ないし二五パーセントのディスカウントを受けたが、このディスカウント分を被申請人に還元せず自ら利得して、被申請人に少くとも一五〇万円以上の損害を与えた。また、申請人は、被申請人から、インド関係書籍の出版印刷費概算として六〇〇万円以上を受取りながら、今日まで、実際に支出した経費額を明らかにして精算しようとしない。

申請人の右行為は、本件就業規則に懲戒解雇事由として定められた七五条七号の「業務に関し私利を計つたとき」、及び前記の本件就業規則七五条一〇号に該当する。

(四) 被申請人の費用により申請人の責任において、昭和四九年から昭和五八年までの間に、インドで、一〇タイトル、八七〇〇部の書籍が出版され、現在インドにおいてそのうち四八〇〇部以上が在庫として存在しているが、それらは被申請人の求めにもかかわらずインドから被申請人に送付されてこない。被申請人はそのため売価に換算して四〇〇万円近くの損失を被つている。従つて、申請人は、このように被申請人に損害を与えているので、前記の本件就業規則七五条一〇号の懲戒解雇事由がある。

(五) 以上のような申請人の非違行為について究明するため、被申請人の理事や監事が昭和六一年一月から七月までの間、再三に渡り、申請人に対しインド関係書籍の出版や購入の経緯について説明を求めたり、あるいは、事情聴取を行うべく出頭を求めるなどしたが、申請人は合理的な説明をせず、また説明や出頭を拒否するなどして、被申請人の円滑な業務遂行に協力せず、服務上の義務に違反する不誠実な態度を取り続けた。

申請人のこのような行為は、本件就業規則七四条一号に懲戒事由として定められた「正当な理由なく、職務上の長の指示命令にしたがわないとき」に該当する。

(六) 被申請人は、申請人の申出により、これまで国際文化研究所のインド関係諸費用として二九〇〇万円余りを申請人に交付してきたが、申請人は前記のような不当な会計処理により被申請人に多額の損失を与えたので、被申請人監事から、今後申請人に同研究所インド部門の連絡業務や会計事務を処理させるのは不適切であるとの意見が提出された。また、神津東雄同研究所長から、同研究所の研究対象として従来インド部門を偏重したきらいがあり、インド部門の活動は一応の成果を収め、かつ、現在以上に研究成果の飛躍的向上が期待できない等の理由により、昭和六一年度末(即ち、昭和六二年三月三一日)をもつて当分の間インド部門の活動を一旦停止し、今後のあり方を検討するのが適当である旨の意見が提出された。そこで、被申請人は、これらの事情を勘案して、昭和六二年度以降インド部門の研究活動を一旦停止することを決定した。従つて、このような事情のもとでは、申請人について、本件就業規則二五条一項四号に解雇事由として定められた「学園の事業が縮少によつて剰員を生じたとき」に当たる事由が存する。

三  そこで、被申請人の主張する雇傭契約終了事由について順次検討する。

1  まず、前記二の1の契約終了事由についてであるが、本件疎明資料によれば、申請人が当初被申請人に客員講師兼国際文化研究所研究助手として雇傭された際には、雇傭期間を昭和四七年一〇月一日から昭和四八年六月三〇日とする昭和四七年五月二六日付契約書(<証拠略>)が作成されたことが一応認められるけれども、その後は、申請人と被申請人の間で雇傭期間を限つた契約書が作成された事実を疎明する証拠は存しない(<証拠判断省略>)。また、被申請人は、申請人が専任教員ではなく客員教員であつた旨主張するが、客員教員の概念が不明確であるうえ、そのことと申請人の雇傭期間が一年に限られていたという主張とがどのように結びつくのか明らかではない。その他、本件全疎明資料によつても、申請人と被申請人との間の雇傭契約の内容が期間を一年に限つたものであるということを一応認めるに足る証拠は存しないから、被申請人の主張する前記二の1の契約終了事由は理由がない。

2  本件疎明資料によれば、被申請人が申請人に対して、前記二の2記載の解雇の意思表示をなしたことが一応認められるので、以下被申請人の主張する解雇事由につき検討する。

(一) 二の2(一)の解雇事由について

被申請人は申請人に対して、昭和五一年六月一六日、被申請人がインドにおいてアゲイエ著によるヒンディー語小説「河に浮かぶ島」を出版するための費用として、五五万二五〇円(一万五五〇〇ルピー)を支払つたこと、右書籍が今日に至るまで出版されず、また申請人が被申請人に右出版費用を返還しないことは当事者間に争いがない。更に、本件疎明資料によれば、被申請人は、昭和四九年から昭和五八年までの間インドにおいて一二タイトルのインド関係書籍(「ヒンディ語図書目録」を含む。)を出版したこと、申請人がそれらの出版業務に関し、実質上責任者の立場にあつて、これを統括していたこと、それらの書籍のうち昭和五四年に出版された「サウラシュトランス地方の口承文学」、昭和五五年に出版された「アパブフラムサ統語論」及び昭和五七年に出版された「ヒンディ語図書目録」については、被申請人から出版費用が出されていないこと、「アパブフラムサ統語論」及び「ヒンディ語図書目録」の出版費用は、それ以前に被申請人によつてインドで出版された前記の書籍の売上代金の一部によつてまかなわれたことが一応認められる。そして、申請人は、「河に浮かぶ島」は、その原稿を著者から貰うことができず出版できなかつたため、その出版費用はその後被申請人がインドで出版した書籍のうちの一つの出版費用に当てられたが、右認定のような事情のもとではそれは「サウラシュトランス地方の口承文学」の出版費用であると考えられる旨主張する。

ところで、疎乙第一〇六号証(申請人作成の昭和五三年一〇月から昭和五四年二月までの間のインドへの出張報告書)中には、申請人が出張していた間に「サウラシュトランス地方の口承文学」と「アパブフラムサ統語論」が出版され、その出版費用は被申請人がインドで出版した書籍の売上代金によりまかなわれた旨の記載がある。しかしながら、「アパブフラムサ統語論」が出版されたのが昭和五五年であることからしても右記載内容の正確性については疑問の余地が多分にあるうえ、申請人は右記載が思い違いによる誤つた記載である旨供述していること、申請人が作成し被申請人に提出した被申請人代表者宛の昭和五七年一〇月一八日付覚書(疎甲第一四号証)中には、既に、それまでに被申請人によりインドで出版された書籍のうち「アパブフラムサ統語論」と「ヒンディ語図書目録」の出版費用のみが被申請人のインドでの出版物の売上代金によりまかなわれ、それ以外のものは、「サウラシュトランス地方の口承文学」も含めてすべて被申請人の支出した費用により出版された旨の記載があること、インドでの被申請人の出版物についての出版業務を担当していたシマント出版社の昭和六〇年度までの勘定報告書(疎甲第七二号証)中には、「アパブフラムサ統語論」と「ヒンディ語図書目録」の出版費用のみが被申請人のインドでの出版物の売上代金によりまかなわれた旨の記載があること等をも勘案すると、疎乙第一〇六証の記載のみから「サウラシュトランス地方の口承文学」の出版費用が被申請人のインドでの出版物の売上代金によりまかなわれたと認めることはできない。その他本件疎明資料によつても、右書籍の出版費用が、被申請人のインドでの出版物の売上代金ないしは「河に浮かぶ島」の出版費用以外の何らかの費用によりまかなわれたと一応認めるに足る証拠は存しない。

従つて、申請人が主張するように、「河に浮かぶ島」の出版費用が「サウラシュトランス地方の口承文学」の出版費用に当てられた可能性は十分ありうるところであるから、結局、申請人が受け取つた右出版費用を被申請人に返還しないことにつき正当な理由がないと認めることはできず、このことをもつて申請人の解雇事由に当たる非違行為であるということはできない。

(二) 二の2(二)の解雇事由について

本件疎明資料によれば、申請人は、昭和五〇年一月から五月までの間に、シマント出版社に指示して、被申請人(大学)図書室の備付図書にするため、インド・カルカッタのグリーンエーカー書店からおよそ一八五冊の書籍を購入させ、それを被申請人に送付させたこと、被申請人はそのころ申請人に対し右書籍の代金として三二万円余り(9162.25ルピー)を交付したこと、申請人及びシマント出版社は、グリーンエーカー書店の代金請求額が不当であるとして、同書店に対して今日まで前記書籍の購入代金として二〇〇〇ルピーないし四〇〇〇ルピーほどしか支払つていないと思われ、右代金支払をめぐる紛争は両者の間で未だに解決していないこと、グリーン・エーカー書店は、昭和五六年一二月ころ、被申請人に対して、申請人及びシマント出版社から右書籍の販売代金の支払を受けられないので、被申請人が右書籍を受取つたか否か及び右書籍代金を申請人に交付したか否かについて回答して欲しい旨照会する文書(疎乙第一一号証の一ないし三)を送つてきたこと、これに対し申請人は、この問題は被申請人には直接関係のないことであるから自らが善処するといつて、被申請人をして、グリーンエーカー書店の主張は認めることができない、被申請人は当該問題に関係しないので、今後は関係当事者に対して話をするべきである旨記載した書面(疎甲第三〇号証)を被申請人事務職員名義で同書店に送らせたこと、その後同書店からは、昭和六一年五月以降被申請人が右書籍購入代金の未払問題等について調査するため同書店に照会文書を出したのに対する回答の文書が数回送られてきた以外には、被申請人宛の文書が送られてくるようなことはなかつたことが一応認められる。以上のような事実の経過に鑑みると、申請人及びシマント出版社とグリーン・エーカー書店との間で書籍購入代金の未払問題をめぐつて紛争がありそれが今日まで決着していないのは事実であるが、右紛争につきいずれの側の主張に利があるかはさておくとして、そもそも、グリーンエーカー書店から書籍を購入した契約当事者は申請人ないしシマント出版社であつて、被申請人が右書籍の購入に関しグリーンエーカー書店から法的責任を問われて何らかの金員の支払請求を受ける恐れはまず考えられない。また、被申請人の名誉、信用の毀損についてみても、被申請人は契約当事者でない上、昭和五〇年以降グリーンエーカー書店の方からは、被申請人に対し、昭和五六年一二月ころ一度照会文書が送られて来た以外にはこれといつて積極的に接触を求めてきたことはなく、また被申請人は昭和五〇年に書籍を購入してから後同書店と何らの取引行為もないのであるから、このような事情のもとでは申請人が未だにグリーンエーカー書店と書籍の購入代金の支払をめぐつて争つていることが、解雇事由として問題とされるほど被申請人の名誉、信用を傷つけるものであるとはとうてい考えられない。従つて、グリーンエーカー書店に対する書籍購入代金の未払問題をして正当な解雇事由に当たるということはできない。

なお、本件疎明資料によれば、シマント出版社から販売目的でグリーンエーカー書店に交付された被申請人がインドで出版した書籍一六冊の代金五一六ルピーが、シマント出版社がグリーンエーカー書店から購入した前記書籍代金と相殺処理され、シマント出版社及び申請人もこれを承認していることが一応認められるが、このこと自体は、相互の金銭債権を会計上相殺により処理したというだけのことであつて、何らの非違行為に当たらないことは明らかである。

以上によれば、被申請人の主張する前記二の2(二)の解雇事由は理由がない。

(三) 二の2(三)の解雇事由について

本件疎明資料によれば、申請人の意向により、昭和四九年インドにおいて、被申請人のインドにおける書籍の出版及び購入に関する業務を専ら行わせる目的でシマント出版社が設立されたこと、右出版社の設立当初は、申請人の友人マヒープ・シン博士及び申請人の親族がその運営に当たつていたが、その後まもなくマヒープ・シン博士は退き、申請人の親族が専らその運営に当たるようになつたこと、申請人は、昭和四九年から昭和五九年までの間、シマント出版社に指示して、被申請人図書室の備付図書にするためインドの書店から約一万二〇〇〇冊の書籍を購入させ、それを被申請人に送付させて、被申請人からその代金として約一五〇〇万円の交付を受け、あるいはシマント出版社をして受けさせたこと、被申請人は右代金を申請人から提出された書店からの請求書に記載された金額(定価)に基づいて支払つたが、現実に書店から購入した価額は、多くの書籍について右金額から一〇パーセント以上のディスカウントをしたものであつたことが一応認められる。

ところで、申請人は、(1) 申請人が、日本にいながら被申請人のためインドで書籍の出版及び購入を行おうとすると、インドにおいて申請人の指示に基づきそれらに関する種々の必要業務に当たつてくれる信頼に足る者の存在が必要であり、そのためにシマント出版社が設立され、右業務を遂行した、(2) 被申請人が現実の書籍の購入価額より余分に支払つた前記ディスカウント分は、シマント出版社の運営経費や報酬に当てられた、(3) 右のようなシマント出版社の設立経緯及び運営方法については、当初より神津東雄国際文化研究所長に口頭で報告していたので、当然被申請人の了解を得ているものと思つていた旨主張し、その旨供述しているところ、右(1)の点については、申請人のいうところはそれなりに十分合理性があると思われ、シマント出版社が被申請人のインドでの書籍の出版及び購入業務を遂行するについて不必要な存在であつたと断ぜられるような証拠は存しない。また、右(2)の点についてみると、被申請人が余分に支払つたディスカウント分は、ディスカウント率を一〇パーセントとするとおよそ一五〇万円に上るが、これはシマント出版社の約一〇年間の運営経費及び報酬として決して多くはない合理性のある金額であり、特に申請人のこの点についての供述の信憑性を疑わせる証拠は存しない。更に、右(3)の点については、申請人が神津所長にシマント出版社の設立当初からすべての事情を口頭で報告していたということを特に否定する証拠はないし、申請人は遅くとも昭和五七年一〇月一九日付の被申請人代表者宛のメモ(疎乙第一五号証)において、右のようなディスカウント分がシマント出版社の経費に当てられていることを報告しているが、被申請人はその後も従前同様申請人及びシマント出版社を通じて相当多数の書籍をインドの書店から購入していることが疎明資料の上から明らかである。このような事情に徴せば、申請人のこの点に関する供述を虚偽のものとして排斥することは困難というべきである。

従つて、被申請人がインドにおいて書籍の出版及び購入を円滑に行うためには、シマント出版社の存在が必要であつたのであり、被申請人が余分に支払つたディスカウント分はそのシマント出版社の運営経費等に当てられていた、また申請人は、被申請人がそのようなシマント出版社の運営方法について了解していると思つていた、旨の申請人の供述を虚偽のものと断じて排斥することはできないから、被申請人が余分に支払つたディスカウント分を、申請人が自己もしくはその親族が運営するシマント出版社のため不当に利得して被申請人に損害を与えたと認めることはできないといわざるをえない。よつて、申請人が被申請人から前記ディスカウント分を受取りながら返還しないことをもつて、解雇事由に当たる非違行為であるということはできない。

また、本件疎明資料によれば、申請人は被申請人から、インドにおける前記の書籍出版のための概算費用として合計六〇〇万円余りを受取つたこと及び申請人が今日まで、そのうち書籍の出版に関して実際にいくら支出したかを領収証等の証憑書類によつて明らかにできないことが一応認められるが、疎明資料によれば、右書籍の出版は大部分が昭和四九年から昭和五五年までの間に行われていることが一応認められるのであり、従つて、被申請人として申請人の右のような会計事務処理が問題であれば、もつと早い時期に、出版、印刷等に要した費用を明らかにして精算するように強く求め、申請人がこれに応じないならば以後の出版費用の支払を止める等の措置がとれたはずであるが、被申請人がそのような対応をとろうとした形跡は何ら認められない。従つて、今日に至つて申請人が遠い過去の出版費用を明らかにできないからといつて、その会計事務処理のやり方を解雇事由に当たる非違行為としてとり上げることはとうてい許されない。

以上によれば、前記二の2(三)の解雇事由は理由がない。

(四) 二の2(四)の解雇事由について

本件疎明資料によれば、被申請人が申請人の責任においてインドで今までに出版した書籍約八七〇〇部のうち一〇タイトル、四八〇〇部余りが昭和六〇年現在在庫として残つている旨のシマント出版社の売上報告書(疎乙第一八号証)が申請人を通じて被申請人に提出されていることが一応認められる。ところで、これらの在庫の被申請人への送付に関して申請人は、それができないと主張しているわけではなく、全部を一度に送付することはインドの法規制のためできないが(もつとも、その理由の詳細は明らかにされていない。)、必要部数を少量ずつ送ることはできるし、実際の在庫数について疑念があるなら被申請人が誰かをインドへ送つて在庫数を確認させればよい旨主張しているところ、これらの出版書籍はいずれも特殊な分野の学術書であり、営利を目的とした商業的意図で出版されたものでないことは被申請人の自認するところであつて、その需要も極めて限定されていると思われる。

従つて、被申請人としても、今更そのような大部の売れ残りの在庫の送付を一度に受けても、多数販売できるとはとうてい考えられないところである。また、被申請人は、昭和六〇年に至るまでは、インドにある出版書籍の在庫を被申請人に送付するように要求したことがなかつたことも疎明資料上明らかである。以上のような事情に照らすと、インドにある被申請人の出版書籍の在庫を現時点ですべて被申請人に送付できないからといつて、このことが本件就業規則七五条一〇号の懲戒解雇事由に当たるほど被申請人に重大な損害を与えるものであるとはとうてい認められない。従つて、被申請人の主張するこの解雇事由も理由がない。

(五) 二の2(五)の解雇事由について

これは、そもそも被申請人の主張自体、本件就業規則の解雇事由に当たるとしているわけではないから、主張自体から解雇事由に当たらぬことが明らかである。

なお、本件疎明資料によれば、被申請人は、申請人の行つていた会計事務処理に関して、第二の二の2(一)ないし(四)で解雇事由として主張するような諸点に疑惑を抱いたため、昭和六〇年九月一二日、被申請人の総務部長が中心となつて申請人より事情聴取を行つたこと、被申請人は、更に事情聴取を行うべく昭和六一年三月から五月にかけて申請人に出頭を求めたが、申請人は最終的には代理人弁護士を通じて、書籍の購入、出版の問題については既に説明している旨回答し、事情聴取に応じなかつたこと、その後申請人は、被申請人監事からの事情聴取に応じ、同年五月三〇日に三時間四〇分にわたつて事情聴取が行われたこと、被申請人監事から、更に事情聴取を続行するため同年六月から八月にかけて申請人に対し出頭要請がなされたが、申請人は代理人弁護士を通じて応対し、自らは同年六月三日付で事情内容を記したメモを提出したのみであつて、それ以上の事情聴取には応じなかつたこと、その間同年六月四日申請人から被申請人に対し、前記第二の二2の(一)で被申請人が解雇事由として主張する「河に浮かぶ島」の出版費用の返還問題について、債務不存在確認請求訴訟が提起され、これに対して同月一八日被申請人から申請人に対して反訴が提起されたことが一応認められる。また、本件訴訟で問題となつた、申請人の行つた書籍の出版、購入に関する会計事務処理のやり方について、申請人は、本件訴訟で供述したのとほぼ同じ内容の説明を、既に、以前より被申請人に提出したメモ、前記の二回の事情聴取及び申請人代理人が被申請人に応対した書面中において行つていることが疎明資料により認められる。以上のような事情経過に照らすと、当時、感情的にも被申請人と対立して互いに訴訟まで提起するような状況の中で、不正行為の疑惑の調査のような形で進められた事情聴取に対して申請人のとつた前記のような応対を、懲戒(譴責、減給、出勤停止)事由に該当するような服務義務違反(不服従行為)であるということはとうていできない。

(六) 二の2(六)の解雇事由について

本件疎明資料によれば、被申請人は昭和四七年から現在までの間に、国際文化研究所インド部門のために、出版印刷費として六〇〇万円余り、図書購入費として一五〇〇万円余り、申請人のインドへの出張経費として七八〇万円余りをそれぞれ支出して、一二タイトル、八七〇〇部以上の書籍をインドにおいて出版し、約一万二〇〇〇冊の書籍を購入し、定期的に数多くのジャーナルを発刊するなどして、インド部門の発展、充実に務めてきたこと、申請人がそれらの活動についての実質上の責任者となり、中心的役割を果たしてきたことが一応認められる。また、申請人について被申請人の主張する懲戒事由がいずれも認められないことは前記のとおりである。このような事情に鑑みた場合、現時点で被申請人が、申請人を解雇までして国際文化研究所のインド部門の活動を停止するからには、特別重大で差し迫つた事情が存するはずであるが、本件疎明資料によつても何らそのような事情を窺うことはできない。従つて、被申請人がインド部門の活動を停止するというのは、申請人を解雇するための口実以外に何ら正当な理由のあるものとは考えられないから、このことをもつて申請人についての正当な解雇事由と認めることはできない。

3  以上によれば、被申請人の主張する雇傭契約の終了事由はいずれもこれを認めることができないから、申請人は被申請人に対して雇傭契約上の権利を有することになる。

四  保全の必要性

申請人が昭和六二年一月から三月までの間、毎月二五日限り被申請人から月額六四万四六〇〇円の給与の支払を受けていたことは当事者間に争いがない。これに申請人の地位、家族状況等を勘案した場合、このまま本案判決の確定を待つていては申請人において回復し難い損害を被る恐れがあり、被申請人に対し月額四〇万円の金員の仮払を求める限度で保全の必要性があると認められる。

五  結論

以上によれば、本件仮処分申請は、主文第一、二項の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないので却下し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官山垣清正)

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